大臣 (古代日本) (Oomi (a government post in ancient Japan))

大臣(おおおみ)とは、古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の1つ。
王権に従う大夫を率いて大王 (ヤマト王権)(天皇)の補佐して執政を行った。
カバネ(かばね)の一つである臣(おみ)の有力者が就任した。
日本書紀には、最初の大臣として武内宿禰の名が見えるが、武内宿禰は実在の人物とは考えられていない。
しかし、武内宿禰の後裔を称する葛城氏、平群氏、巨勢氏、蘇我氏などの有力氏族出身者が大臣となった。

大臣は、各大王の治世ごとに親任され、反正天皇から安康天皇までの治世に当たる5世紀中期には葛城円が、雄略天皇から仁賢天皇までの治世に当たる5世紀後期には平群真鳥が、継体天皇の治世に当たる6世紀前期には巨勢男人が、敏達天皇から推古天皇までの治世に当たる6世紀後期から7世紀初期には蘇我馬子が、それぞれ大臣に任命された。
蘇我馬子が大連_(古代日本)である物部守屋を討った後は大連制が事実上廃されたために馬子が単独の執政官となり、以降は蘇我氏が政権の中枢を担うようになり、大臣は蘇我蝦夷(馬子の子)が跡を継いだ。
皇極天皇の治世に当たる645年、いわゆる乙巳の変により、蘇我蝦夷は自死し蘇我氏の隆盛は終わった。
この事変の直後に即位した孝徳天皇は、大臣に代って左大臣と右大臣を置き、権力集中の防止を図った。

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